令和二年 九月場所 千秋楽
~優勝の喜び、溢れる涙~
感動の一瞬は、これまでの日々を走馬灯のように思い起こします。
【思い出がいっぱい】
時天空の後ろをただひたすらに追いかけていた、あの頃。
時天空と勝利の喜びを分かち合っていた、あの頃。
時天空の疲れた背中を優しくさすっていた、あの頃。
疲労困憊の時天空の隣にいた、あの頃。
やりましたよ、時天空。
あなたの忘れ形見の正代はついに初優勝、大関昇進(ほぼ)を決めました。
自分のブログをあまり見返すことはありませんが、正代の初優勝を機に、久しぶりに昔の記事を見返しました。
時天空の付け人を務める正代の姿、まだ体も細く初々しさも残ります。
そんな正代の前で、勝負の世界で生きる厳しさを背中で示し続けた時天空。
時天空の背中から正代は多くのことを学んだことでしょう。
ひとつの白星を積み重ねるためには、その何倍も何十倍も努力を重ねなければならないこと。
今日の稽古が未来の自分を作ること。
足技は失敗のリスクが高いこと。
でも、失敗から成功は生まれること。
時天空がいてくれたから、今の正代がいる。
今日の正代の活躍を、時天空は誰よりも喜んでいることでしょう。
おめでとう!正代。
おめでとう!時天空。
そんな正代の初優勝に沸く、両国国技館。
千秋楽の国技館は、優勝を称えるお宝で足の踏み場もないようです。
【葛藤】
付け人「すごい・・・、お宝の山っスね。」
付け人「ひとつくらい、なくなっても・・・、分らないッスよね・・・・・・。」
付け人「・・・・・・。」
翔猿「・・・・・・。」
翔猿「・・・ダメだッ・・・!」
それにしてもこの、「四股、テッポウ 厳禁」の尋常じゃない貼り方ったら!!(笑)
こんなに貼らねばならぬほど、力士はところかまわず、四股テッポウするものですか?(笑)
稽古場じゃろくに四股も踏まず、テッポウなどする力士は減ってしまったと、毎場所のように耳にしますが、本場所になった途端に慌てて、四股テッポウしてるんじゃ、そりゃ怪我も多くなって強くもならんものです。
ところで、優勝と言う栄誉を手にすると、いろんな人が寄ってくるものです。
【祝賀会】
霧馬山「正代関・・・・・・。」
霧馬山「今日の祝賀会・・・・・・。」
霧馬山「良かったら、うちでやりませんか。」
正代「え?!」
霧馬山「ちゃんこ霧島、割引するってうちの親方言ってます。」
正代「・・・営業・・・?」
いやさぁ、このコロナ禍で陸奥親方のところの「ちゃんこ霧島」も大変じゃないですかね。
飲食、観光に限らず、多くの商業は大きなダメージを受けてますからね。
いつだったか、舞の海が「もう経済を回した方がいい」と解説席で言ってましたが、たしかにそうも思うんですよね。
私も店を商っているのでコロナの影響は多分に受けていますが、もうコロナの前と同じような世の中には戻らないとも思うんですよね。
いつの時代も何かをきっかけに、世の中って変わってゆくものかもしれません。
それが望ましい形であれなんであれ、生きていく以上はそれに合わせて変わっていかねばならない。
それはまた協会の親方衆も同じです。
【談笑】
伊勢ヶ浜「あ、八角さーん。」
伊勢ヶ浜「あれ?気が付いてないのかな?」
伊勢ヶ浜「ここだよ、八角さーん。」
伊勢ヶ浜「あんたのその目、きっついわ~。」
和やかに談笑してるんでしょうけど、八角の目つきのきついこと、きついこと。
でもまぁ、今場所も無事に終わりはしたけれど、あまりにも休場者が多すぎます。
お客さんの声援禁止のヤジが飛ばないことをいいことに、十両以上の休場者累計13人とは・・・。
怪我の程度は色々でやむにやまれぬ休場もあるのは十分理解します。
だかしかし。
全体で見てこれはどうかいえば、両横綱を筆頭にバラバラバラバラ力士が減っていくのはどう見たって異常事態。
コロナだからと言い分もあるのでしょうが、コロナ依然に稽古の質とか体重の増えすぎとか、色々原因はあるのでしょうから、協会としても何か手立てを打たんといかんでしょう。
八角体制も2期目、そろそろ抜本的改善への着手が必要です。
でも今場所はまさか正代が優勝するとは想像していませんでした。
熊本出身力士の初優勝が正代とは、なんだか感慨深いものがあります。
正代は熊本県民に15日間、夢や希望や勇気ををくれました。
ありがとう!正代!
おめでとう!正代!
※コメントのお返事は明日します。スミマセン!